徳川幕府の直轄地になった折りに、以前の城主(金森氏)の下屋敷を役所にして代官、郡代が飛騨の政治を司っていた所で、代官の役宅、蔵などを含めて陣屋と言われています。
当時3ヵ所あった郡代役所(関東・西国・美濃)と並んで幕府の重要な直轄領となりました。幕末には全国に60数ヵ所あったと言われている郡代・代官所の中で、当時の建物が残っているのはこの高山陣屋だけと言われています。
高山市周辺

||| 高山陣屋 代官所跡 |||

||| 飛騨国分寺 |||
聖武天皇が全国に建てさせた国分寺の一つで、現在の国分寺は近代初頭に再建されたといわれている。
堂内では天平時代の薬師如来座像と藤原時代前期の聖観音菩薩立像(ともに重文)が拝観できるほか、境内から出土した天平時代の瓦なども展示されている。
高さ3-40mの大銀杏の横に文政4年(1821)の再建された美しい三重の塔があり、創建当初は七重大塔だったが、直径約1.8mの中心礎石が今も残っています。

||| 日下部民藝館 |||
天領時代に代官所の御用商人として栄えた、日下部家の町屋住宅を利用した民芸館で奥の土蔵なども展示室に使い、日下部家伝来の渋草焼の初期のものなど、美術品や民芸品を公開している。
現在の建物は1879年(明治12)の建築で、主屋は床面積が1048m2の総檜造り2階建てで、軒の出が深く、梁と束柱の力強い立体的な木組など、江戸時代の高山の町屋建築様式を現在に伝えている建物です。

||| 吉島家住宅 |||
金融、酒造業、生糸、繭の売買を営んだ豪商で、造り酒屋を家業としてきた江戸後期頃から生糸繭、吉島家は江戸から明治にかけて豪商だったという。
明治8年の高山の大火で焼失し翌9年再建したが、明治38年再び類焼し、明治40年に四代吉島斐之にて再建された建物です。
家の軒下には酒神を祭る大きな杉玉が吊してあり、家業であった酒造業の名残りをとどめています。

||| 飛騨民族考古館 |||
高山城主金森家の御典医(大名にに仕えた医者)の住まいと伝えられ、江戸時代からほとんど修理などの手が加えられていないといわれています。
戦国武家屋敷をしのばせるたたずまいで、吊天井や忍窓、井戸の抜け穴などが見られます。土蔵には飛騨の考古、歴史資料などを展示しています。

||| 高山市政策記念館 |||
昭和57年に文化財として指定し、昭和61年4月に施政記念館として開館しました。
明治28年から昭和43年まで使用された町役場・市役所の建物で、明治の高山町から現在の高山市までの行政資料を保存、展示しています。
高山市伝統的建造物群保存地区内の南端にあって、宮川に架かる擬宝珠や欄干をそなえた朱色の中橋を渡れば、高山陣屋は目の前にあります。

||| 飛騨民族村・飛騨の里 |||
飛騨の豪雪に耐えてきた、合掌造りなどの古い民家を移築した集落博物館で、高山市街と北アルプスを望むことが出来る、松倉山麓の小高い場所に和46年(1971年)に開村しています。
飛騨の里に続く道は”飛騨の里通り”と称され、一位一刀彫の展示館、民芸品、ガラス細工などの、製作体験が出来る思い出体験館などの施設をはじめ特色あるお店や飲食店があります。

||| 福来博士記念館 |||
東京帝国大学助教授で明治時代後期に透視・念写などの研究・公開実験で世間の注目を集めた学者で、博士の銅像、超能力者が念写したという月の裏側の念写写真、論文などの資料を紹介している、小さな記念館です。
当時、他の学者からは否定された透視・念写ですが、"現代の科学で実証した !"、といった新しい資料などはありません。
展示資料には宗教的な表現の資料もあり、透視・念写は科学的ではなく宗教的な感覚で理解する必要があるようです。
決してお勧めいたしませんが、興味のある方は飛騨福来心理研究所のHPを確認されてからお出かけください。