白川郷は飛越地方庄川流域の歴史的地名で、岐阜県内の庄川流域の白川村と旧荘川村、旧清見村の一部を指しているが、今では合掌造り集落がある白川村を表していることが多い。
五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。
白川郷周辺

||| 白川郷 |||

||| 旧遠山家民俗館 |||
国指定重要文化財に指定されている合掌造りで白川村立の民俗館です。
旧遠山家のこの家屋は建築年代が文政10年(1827)頃で、能登の大工によって建てられたもの。その後一度改築されていますが、和田家と並ぶ白川郷の代表的な家屋です。
旧遠山家の合掌造りは、文政10年(1827年)頃の建築で、1階と三角形の屋根部分(アマ)が4層構造の切妻茅葺き屋根の大きな建物です。
||| Miboroダム サイドパーク |||
MIBOROダムサイドパーク 御母衣電力館は、電源開発(株)が運営している施設で、発電施設の紹介だけではなく御母衣ダム建設の歴史や、建設予定地にあった桜(荘川桜)の移植の経緯などを写真、パネルなどで紹介しています。
昭和36年に完成した世界的な高ロックフィル式ダムで堰堤は、高さ131m、長さ405mに達し、地下130mに発電所があります。
||| 帰 雲 城 跡 |||
帰雲城は当地の有力武将、内ヶ島氏の居城であっが天正大地震が起き、帰雲山の山崩、土石流にて帰雲城は埋没。内ヶ島氏は滅亡してしまった。
内ヶ島氏は金山・銀山などの鉱山を所有していたとされており、そのとき埋まったとされる埋蔵金伝説があることでも有名です。
いくどか帰雲城発掘の試みがなされているそうですが、帰雲城につながる具体的な物証は発掘されていません。
石板の説明には”地勢などからこの付近と推測される”とあり正確な城跡は確認されていません。
この城址碑がある場所には慰霊の観音像と小さな社(帰雲神社)があるのみで、碑の後方の山に崩落跡?を見ることが出来ます。